庭には二羽、野良猫がいたとて

実家の猫ちゃん死んだらしい。んなことある?俄には信じがたい。即日控訴申し立てる所存だ。

愛猫の古い写真を訪ねてみると、2012年8月、12年前になる。(天寿だろうか?)
当時学生だった私は大学の一学期を終え、実家へ帰省すると、ヤツがいた。事前に何も知らされてなかったので、急な出会いだ。

ちっちゃな頃は抱っこどころか撫でられるのも機嫌に触るらしく、私が愛でるたびに不愉快そうに尻尾を叩きつけられたものだ。
まぁそれでも無理矢理撫でてましたけどね。今だったら猫権団体が騒ぐのかも知れませんが。そのうち慣れてか、何をされても動じない猫になりました。

まあ色んな思い出、ありがとうだよね。どうしてか持込不可の温泉宿にこっそり持ち込まれたこともあったし、学生だった当時、住んでたアパートにも来てくれたさ。
最近でも、飲んだくれて、実家に遅くに帰宅した時も、変わらず茶の間で出迎えてくれた唯一の友達だったね。

死の間際はやはり苦しかったのだろうか?だったらお疲れ様、よく頑張ったよね、、ということだろうか?

しかしながら達者でな、というのが私からの素直な言葉だ。
死んだ後、全ての生き物はいずれ同じ場所に辿り着くだろうと、何となくそんな予感がするからだ。
猫ちゃんに関わらず、関わってくれたみんながそうだ。ベストだった関係性で、我々は死後も再び巡り会うだろう。私はそう、信じている。

嗚呼、今際の際なら側で迎えたかったものだ。転勤とかいうそびえたつクソ。いつまでも根に持って差し上げたい。結局一緒に最期を迎えることはできなかった。

いや、星になったのは本当だろうか?
俄には受け入れがたい。彼が亡くなったという証拠を私は探してみるだろう。飼い猫が脱走したなんてよくある話だ。彼も3、4回は脱出に成功し、また、見つかっている。


‥‥供養してやらねば、だねぇ。
短いながらも、文字にすることで、弔意を表したい。そんな風に思った次第だ。

君が生きていたという証拠を探す、と言う趣味が増えてしまったようだ。どんな小さな欠片でも、思い出して、探してと、繰り返したく思う。

それでは猫ちゃんお達者で、、と、割り切れるには至らなく。

んなことある?
俄には信じがたい話だ。