労働讃歌
某ジムの会員になっている。月8,000円ぐらい払っているだろうか、とても週一では割に合わぬ。
せめて週二で通いたい。
筋トレには休養が必要らしいので、火曜か水曜、加えて金曜。
平日に二回通えるようでいたい。
ところが実際はどうだろう?
翌日の身体へのダメージを考慮して、少なくともそれを口実として、通うことが出来るのは金曜か土曜の夜中だ。
平日はと言えば、仕事から疲れて帰ってきて、翌日もあるので飯を食ってすぐに横になる始末だ。
疲れた、疲れている。
これで誰か得してんのか?って思うやんか?
生きてる意味さえ見つめ直したくなる。とは言え今更そんなこと考えるのも野暮だ。もしくは本当に生きているのだろうか、というところから話を進める必要がある。
とまあ、この文章からも分かる通り、不毛だ。後には疲れているという事実だけが残される。仕事中に疲れている余裕はないのだけど。肩から責務という荷を降ろすと、代わりにのし掛かる物は疲労だ。ああ、不毛、不毛。
まあ、なんだ。ジムに行きたいのに行けてないよねって話だ。前職では自由が効いていたので割と通えてたりしたのだが。加藤何某からは元気だなと言われよく腹が立っていたものだ。
他人に何が分かるだろうか?もとより元気などないが、気力はあっただけだ。今はガッツが足りねぇ。
明日もあるしもう寝ましょう。願わくばもう起きなくても済むように、アーメソ。
そう言えば海老原媼がご逝去された。
面識も義理もあったので香典を手向にご遺体の元へ伺った。遺族とは特に話題もなかったので、ご遺体にお別れの挨拶をと思い、「海老原老師…」と声をかけた。すると不意に声が弱々しくなり、何だか泣けてきそうな気がしたので足早にその場を離れた。
誰であれ知人がこの世から去るのは悲しいもんですね。