どうか永遠なる安らぎを

朝礼が終わるとすぐ、直人さんが賃金のことで横尾さんを中会議室に呼び出した。私も後に続く。そして20分ぐらい経過した頃だろうか、経理の斎藤さんが会議室の戸を叩いた。

曰く、私の家族から連絡があったそうだ。急ぎ折り返し、電話を試みる。

曰く、おばあちゃんの心臓が止まったとのことだった。心臓が止まったからと言って、死が確定した訳ではないが、兎角、私は会議室から解放され次第、祖母のところへ向かうこととした。

4号線をスピードをあげて直進する。道中、車の中で泣きそうになってしまったが、そんな訳ないじゃんか、と思い込み号泣までは至らなかった。

 

着くと、小さな個室の中には既に家族4人が揃っていた。祖母も含めると5人だっただろうか。小さな祖母を4人で囲んでいた。彼女は目をつぶったまま目を開けようとしない。既に全ての器具は外された後だった。

私が呼んだら反応してくれるのではないかと思い、声をかけてみる。必死で何度も試みる。

おばあちゃん!と、何度も繰り返しているうちに、無意識に涙が溢れて来た。私は体裁を整えるためにトイレに逃げ込む。鍵を閉めると密室の中で、不意に嗚咽が漏れてしまった。

トイレットペーパーで鼻をかみ、ハンカチで目元を整え、もう一度戦闘に臨む。しかし何度呼びかけても、屍のように返事がない。

 

残念なことに、いつまでも留まっていることを日常社会は許さない。少なくとも施設からは、荷物を持って移動しなければならない。

応えのない問答であっても続けていたいところだが、看護師の方が色々と祖母の身支度をしてくれるようだ。私に今できることはない。

お家に帰って祖母の帰りを待つことにした。

おばあちゃん、もう起きないんか?最後にそう言い残して、とりあえずその場を私は離れた。荷物を持って祖母の迎え入れの準備をする。

 

祖母は程なくして慣れ親しんであろう我が家へ帰ってきた。受け入れる為に片付けを終えた、祖母の自室へ運ばれる。

すぐに私は先程と同様に、呼びかけをしてみる。やはり返事はない。すると不意に涙が襲ってくる。トイレに駆け込み、再び戦闘支度を整える。

暫くすると、家族各々が線香をあげにきた。

喪主である実父から始まり、最後に実弟が手を合わせ拝んだ時、私の無意識がそれを悟ったようだ。再びトイレにこもり、息を殺して泣きじゃくった。

私は祖母の死など信じられずに、線香をあげたのは最期になってしまったが。家族が全員祖母の部屋を去り、祖母の亡骸と2人きりになると、どうしても嗚咽が漏れてしまった。小さい頃から何も変わってないもんだな。漏らす時は漏らすわ。って思ったね。

 

うちの自慢のばあちゃんが死んだ。そんなことがあるのだろうか?

全く信じることができない。信じるべきか、信じないべきか。事実と受け入れ、大いに悲しむべきなのか。事実とは受け入れず、気のせいとして飄々と暮らすべきなのか。

うちのばあちゃんは強い。信じるに足る。確証がある、こんなところで死ぬはずがない、そのような祖母が死んでしまった。そのようなことがあるだろうか?

 

私は何度でも祖母に問いかける。ばあちゃん、起きよう、せっかく帰ってきたんだよ、と。同じフレーズばかり繰り返す私はCDの再生のようだ。大きく違うのは、私は、繰り返しているうちに涙が出てくるポンコツだ。サウナに入っている時にふき出す、汗の如く、大粒の涙が。

いつの間にだか夜を迎える。祖母と一緒に過ごすとなると、最期になるであろう貴重な夜だ。夜は1時から3時40分ぐらいまで一緒の部屋にいた。転職したことや行った県のことなど、話せることは一方的に話しただろうか。

目こそ開かなかったが、ばあちゃんは手を握り返してくれた。目を閉じたまま、こう続けてくれた。手術中、医者と目と目が合うので気まずかった、という話だ。同じ部屋には母か叔母がいた。

その日はそんな夢を見てしまった。最近の祖母は手術なんてしていない。日付は6月1日になった。

朝起きて、やっぱりというか、それでもおばあちゃんは起きてはいなくて。また泣いた。なんでばあちゃん起きて来ないんやろか。しとど泣きってこういうことだな。私は悲しみに明け暮れた。その日も過ごせるだけ、祖母の隣で時を削った。

次の日は午前中は、仕事へ出かけた。第二営業日は最も忙しい日のひとつだ。朝起きるとすぐおばあちゃんに挨拶をして、いつもより30分ほど早めに通勤途上についた。職場に着くと、どうだろうか。溜まっていたはずの仕事は同僚の阿部さまが殆ど処理をした後だった。

おそらく阿部さまにとっては私の仕事など造作もないに違いない。私の存在価値ってあるんだろうか。などと自尊心に傷がつく。

兎角、これなら早く終われるな。もう2時間程早く帰ることも可能なんじゃないか?などと考えていたら、しっかり半休分の時間に達していた。私は仕事を切り上げ、出来るだけ早く帰路に着く。祖母の亡骸が斎場に移るのは15時だ、今は一刻も時間が惜しい。そのまま家に着くと、殆ど人の気配がなかった、私はおばあちゃんの部屋に入り、挨拶をするとまた泣いた。ドライアイスの仕事により通常では再現不可能なほど、冷たくなった祖母の手を握り、運び出される時間までそうやって待つことにした。

未だかつて、これほど、ネクタイのことを社会からの首輪だと思ったことはなかった。散歩に無理やり連れ出される犬の気持ちが分かったようだ。我がご主人たる、重さ約2トン程の鉄の塊が、私の体を斎場へと引っ張っていく。

送迎車からの眺めはグレーのスモークでもはっているのだろうか、心なしか薄暗い。それでも空を見上げると、太陽からの反射を受け、雲が真っ白なのがよく分かる。これほどの皮肉があるだろうか。程なく納棺式、通夜などがその日に済んでしまった。

翌日、告別式は素晴らしい土砂降りだった。コンクリートに飛沫たつ雨粒は、水面の餌に群がる鯉を思わせる。一瞬にして駐車場は水面と化し、猪苗代湖に成り代わったようだった。

でも、ひょっとすると祖母の見慣れた景色なんだろうか。だとしたら粋な計らいなのだろう。僕の部屋の窓、開けっ放しかも知れないけど。それもまた一興か。私の部屋にも私の涙をくれてやろう。

13時になると、残念ながら告別式が始まってしまった。私が。私が、お別れの言葉を読むハメになっていた。今まで散々泣いたので、もう泣くこともないだろうと思っていたのだが。一言目のおばあちゃん、と言ったところで次の言葉が続いてくれなかった。やはりと言えば、やはりなのかも知れない。その後の住職の話はさっぱり頭に入って来なかった。結局祖母は最後まで起き上がることはなかった。

祖母が火葬場に運ばれる。あってはならないことだ。そうは思っても、霊柩車を先頭とする車列に追従する他にない。火葬場では1時間半ほどで亡骸がホネになってしまうという。納骨式など、骨だけになってしまった祖母のことなんて、到底見ることに忍びない。祖母が高温で熱せられたことを想うと、ひどく心が痛む。しかし私の意思など、祖母が骨にならない理由にはならない。せめてその場はと目を瞑っていたが、暫くするとすっかり骨壷に収まってしまっていた。

色即是空 空即是色

あるものがあるとは限らないし、ないものがないとは限らない。そのようなことを感じ取った。なくたって、ある。祖母は心の中にいる、などと言ってしまえば陳腐だが。

 

祖母の訃報に触れて3日が経った。

深い悲しみに暮れることができ、人生で1番泣いた3日間だった。祖母と一緒に、最期に過ごせた、本当に尊い3日間でもあった。祖母の冷たい手の感触。余計な肉など全くなく、あんなにシワシワだったのに、闘病でブヨブヨになってしまった掌。最期は一日中、二人で一緒にいれたこと。暇さえあれば祖母に起きるように懇願していたこと。最期にはお疲れ様、ゆっくり休んでね、と伝えることが出来たこと。いつまでも心に留めておきたいと、願う。

 

大好きだったおばあちゃん、また会う日まで。

また一緒に暮らせる日まで、元気でいて頂戴ね。